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孫モノローグ(以下、M)「最近、私はこの耳障りな音で目が覚める。おじいちゃんの部屋からきこえる音だ」
孫M「勤めていた会社を定年退職してから、もう十年。日がな一日、ひとりで部屋に閉じこもるか、庭木の世話をするだけの毎日を送っていたおじいちゃんが、最近になって、パソコン教室に通いはじめた」
祖父「メールってのと、ワードってのを教わってんだけどな、どうもあのマウスってのが厄介で…」
孫 「(断ち切るように)ごちそうさまー、いってきまーす」
孫M「使い方を教えてほしそうにしているが、はっきり言って面倒くさい。家族の中で、おじいちゃんは孤立している。というか、私も父も母もみんな仕事が忙しくて、話し相手をする余裕がない。それに、おじいちゃんは一度話しはじめると、仕事はどうだとか結婚はまだかとか、すぐに質問魔になる。ちょっと、うざい」
母 「あんた、たまにはおじいちゃんの相手してあげなさいよ」
孫 「お母さんがすりゃいいじゃん、家事してるとき家にいるんだし」
母 「何言ってんの、あんた、家事の大変さを知らないからそんなこと」
孫 「知ってるよ。でも私だって毎日残業でいっぱいいっぱんなんだって」
孫M「いっぱいいっぱいなのは、仕事のせいだけではなかった。五年も付き合った男との、別れ話の最中なのだ。私は今年で三十五になる。結婚したいと思っていた相手だったから、けっこう、つらい」
孫M「年寄りの朝は早い。午前四時から、いったい何をプリントアウトしているのか」
孫M「家にあった旧いプリンタは音が大きい。いい加減、我慢できない時もある」
孫 「ちょっとおじいちゃん、何時だと思ってんの? うるさいんだけど。何やってんの」
祖父「あ、すまんすまん。印刷がおかしくてな。何度やっても巨大になって…」
孫 「そんなん、用紙設定をし直せばいいんだよ。ほら、もう、ちょっとそこどいて」
孫 「ほら、ね、きれいに…(絶句)」
孫M「私はそのとき、見てしまった」
母 「遺言状? まさか」
孫 「だって書き出しが、『小生の急な死去に備え、あらかじめ心残りのなきよう…』って。嘘だと思うなら見てみてよ」
SE ・ふすまがそっと開く音。ウィンドウズの起動音。
母 「んー、別に遺産分割のことを書いているわけでもないし、これは遺言状というより…自分史ね」
孫 「自分史?」
母 「『心残りなきよう、改めて自分の人生を見つめ直す機会として、ここに我が生涯の記録を…』」
孫 「こんなの書いてたんだ」
母 「これ、誰に読ませる気なのかしら」
孫 「ここ、『愛する家族へ』って書いてあるよ」
母 「… 私たち、そういえばおじいちゃんがどんな人生を過ごしてきたのか、なんにも知らないわね」
孫 「…(うん)」
孫M「私は結局、恋人ときっぱり別れた。付き合っていた五年間、ずっとずっと、大好きな人だった。私は彼のことを何でも知りたかった。家族のこと、子どもの頃のこと、友達のこと、好きな食べ物、嫌いな食べ物…。でも彼は、私のことをあまり聞いてくれなかった。一緒にいても、いつもさびしい気持ちがした。いや、一緒にいるからこそ、さびしかった。だから、私の方からふったのだ。おじいちゃんは、私が物心ついた時からずっと同じ家に暮らしている。小さい時から、私のことを誰よりも可愛がってくれたおじいちゃん。私のためになんでもしてくれたおじいちゃん。そのさびしさを、私は考えたことなんてなかった」
孫 「おじいちゃん」
祖父「ん? おお、いらっしゃい」
孫 「みかん食べる?」
祖父「ありがとう」
孫 「ねえ、おじいちゃん、メールやってんだよね」
祖父「やってるって言っても…」
孫 「メアド教えてよ」
祖父「メタボ?」
孫 「それはお母さんのことでしょ。そうじゃなくてメールアドレス。ね、メル友になろうよ」
製作・著作:BSN新潟放送
制作協力:劇団あんかーわーくす
脚本:藤田 雅史(ふじたまさし)